野辺地町

 野辺地町は青森県下北半島の基部むつ湾に面し、県庁所在地の青森市までは1時間ほどの距離にあります。冷涼な気候により、夏は過ごしやすい反面、冬の降雪量は極めて多く、県内でも屈指の豪雪地帯となっています。
 産業はむつ湾の海底に直接ホタテの稚貝をまいて育てた「地まきホタテ」や養殖ホタテの他、冷涼な気候に適した「葉つきこかぶ」「長いも」の栽培が盛んです。
 また、野辺地町は古くから交通の要衝であり、南部藩の商港として大阪から蝦夷地、日本海沿岸の諸港を交易する千石船が行き交い栄えました。
 町内には、文政10年(1827年)に地元の豪商・野村治三郎が建立した石の灯台である「常夜燈」や江戸時代に南部藩と津軽藩の境界を示す「藩境塚」、日本初の鉄道防雪林である「野辺地防雪原林」など歴史をしのぶ貴重な史跡が数多く現存しています。

浜町の常夜燈【町指定史跡】【日本遺産構成文化財】

 江戸時代、野辺地湊は盛岡藩有数の商港で多くの北前船で賑わいを見せていました。
 文政10年、野村治三郎によって建てられ、盛岡藩の日本海航路への窓口として夜間入港する船の目印となっていました。現存する常夜燈の中では極めて古い常夜燈と言われています。現在は公園として整備し、夜はライトアップされ神秘的な光景となっています。
 平成30年に北前船をストーリーとする日本遺産構成文化財に認定されました。

旧野村家住宅離れ(行在所)【国登録有形文化財・建造物】【日本遺産構成文化財】

 明治9年に野村治三郎の別邸で明治天皇が巡幸されたときに御宿泊されました。明治23年に大火で焼失したあとに同一設計で再建したと伝えられています。切妻造の木造平屋建。内部は田の字型に4室を配し、8畳の主座敷には床の間と書院があり、室境は近江八景の彫刻欄間で飾られています。庭園側の東側には庇と高欄付きの榑縁(くれえん)が設けられ、数奇屋風の近代和風建築です。

のへじ祗園まつり【町指定無形民俗文化財】【日本遺産構成文化財】

 艶やかに着飾った稚児たちが優雅な祗園囃子を奏で、豪華絢爛な山車が町内を練り歩きます。お囃子の旋律が京都の祇園祭に似ているのは、野辺地港が南部藩の商港として栄えた時代に移入した上方文化の一つと考えられます。
 祭りは毎年8月中旬の4日間開催され、初日は大しめ縄が八幡宮へ奉納され、2日目からは山車の運行や大漁旗を掲げた多数の漁船による海上渡御が行われます。

日本最古の鉄道防雪林

 明治24年9月、盛岡・青森間の開通によって東北本線が全通しました。当時、国内鉄道の最北端にあたる当地方の冬季の列車運行は、連日の雪害によって極度の困難に直面していました。
 翌25年、ドイツ留学を終えて帰国まもない青年林学者・本多静六博士が「鉄道の防雪には森林をもってすることが、すべての面で最善である」と、時の日本鉄道株式会社重役・渋谷栄一に進言したところ、直ちに採用されて早速第一次の設置箇所決定の運びとなりました。翌年一斉に造林が実施され、ここにわが国初めての鉄道防雪林が誕生しました。

愛宕公園

 桜の景勝地として知られる公園内には、石川啄木の歌碑や松尾芭蕉、中市絶壁の句碑があり、文学散歩も楽しめます。
 公園内には、明治天皇巡幸の際に調理用の水に使われたことから「御膳水」と呼ばれるようになった湧水があり、古くから町民に親しまれています。
 また、愛宕神社へと結ぶ階段はその昔本町の道路に敷かれていた石を用いており、この石は北前船で香川県土庄町から搬出された花崗岩です。

国設野辺地まかど温泉スキー場

 ゲレンデからは陸奥湾の大パノラマを望むことができ、初級者から上級者まで楽しめます。また、ペアリフトのほかアルペンコース、クロスカントリーコースともナイター完備され、レンタル品も充実しており手ぶらで楽しめます。

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